森の民の衣食住を大切にする

住環境を科学する 森の民の衣食住を大切にする
森の民の衣食住を大切にする

森の民の衣食住を大切にする

これからは、日本はどうあるべきかをきちんと考えて行動しなければならないが、その基本は森であり、森のこころで、森の民の衣食住を大切にすることである。家畜の民は、パンと肉を主にし、牛乳を飲むなどが食事の基本にあった。家畜こそが生活の中心にあった。肉食の家畜を育てるには、穀物を育てることの12倍もの水を必要とされることになる。これに対して、森を守るには肉を食べないことである。日本の歴史を見るとこのことがはっきり示されたものがある。天武4年(769年)天武天皇が「肉食禁止令」を出し、牛・馬・犬・鶏・猿の動物類を食することを禁じた。この精神は基本的に継承されてきた。

また、日本の歴史に残る人物に最澄と空海がいるが、この2人も8~9世紀の温暖化の時に森を選んでいる。最澄は「山川草木国土悉皆成仏」と言って、生きとし生けるものはみな仏になれると説き、空海は日本の森の美しさをもって「地上・天上にこんな森はない」と言って「森へ行こう」と説いている。

これに対し、家畜の民、砂漠の民は、5千年前の神話に見る通り、まず最初に森の神を殺し、豊かな森をつくっていたレバノン杉を切りつくし、裸の山にした。レバノンの花粉の化石は、5千年前にほぼレバノン杉がなくなっていることを物語っているそんな家畜の民が建てたのは石の神殿である。ここに、森を収奪することで人間が幸せになればよいとする石の文化の姿がよく現れている。

この家畜の民がヨーロッパの森を破壊したのが17世紀の小氷河期で、家畜の民の先兵として修道僧がヨーロッパの森の地域に乗り込んで洗脳し、森を破壊した。その結果、ねずみを食する狼やふくろうを殺してねずみの繁殖を呼び、ペストを大流行させることになった。

その家畜の民がヨーロッパを逃れ、メイフラワー号で行ったのがアメリカで、すばらしく繁っていたアメリカの森を、3百年間で激減させてしまった。

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